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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

フィッシュ『知覚の哲学入門』

知覚の哲学入門

知覚の哲学入門

 

 amazonのレビューを見たら、翻訳がけなされていたので原文に当たってみた。意味がとれない箇所として例に挙げていた箇所は

知覚経験は典型的には意識経験である。それは現象学をもつ。p.2

レビュアーは「典型的な知覚経験は意識経験(意識としての/における/を介しての経験?)である。それは現象学的考察の対象となる」といった意味なのだろうか、と記している。

この箇所に対応する原文は次のようだ。

Perceptual experiences are paradigmatically conscious experiences: they have a phenomenology [...]

たしかに、1文目の訳はひょっとすると少しまずいのかもしれない。私なら「知覚経験は意識経験の典型例である」とか訳すかもしれない。ただ、2文目の訳は直訳したらそうなるんだから仕方ないのでは、という気がする。「現象学」はフッサールとかの現象学とはほとんど関係ないので、「現象学的考察」などと言い換える必要もない。じゃあ、どういう意味なのよ、と思う向きもあるだろうけど、[...]以下が言い換えというか説明になってるので、著者は何も説明していないで用語を使っているわけではない。

ちなみに、この邦訳に関して、私はもっと別の箇所で気になることがあった。

アーヴィン・ゴールドマンの論文"Appearing as Irreducible in Perception" (Goldman 1971)は [...] p.94

原文では"Alvin Goldman"ではなく"Alan Goldman"となっている上に、論文の出版年も1971年ではなく1976年である。どういう理由でこういう訳になったのかの経緯が気になる。