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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ルーマンの機能概念

行政学における機能概念」というルーマンが1958年に書いた論文の訳をネット上で見かけたので、冒頭部分を少し読んでみた。

ルーマンの特徴は「関数」と「機能」をほとんど同義語として取り扱おうとする姿勢にあると思われる。少し長い引用をする。

数学者と社会科学者のどちらもが満足できるような、基礎概念としての機能概念が必要だ。

そのために必要なのは十分な抽象性だ。そして、その条件に合う機能[関数]概念をもっているのが、ほかならぬ論理学である。論理学者にいわせると、機能[関数]に固有の性質とはその多義性だという。もちろんただの多義性ではなく、統制的な多義性だ。機能[関数]とは変数間の関係である。そして変数とは機能[関数]規則にしたがって互いに交換可能な代入値を表す記号のことである。それゆえ機能[関数]とはこれらの記号の間の関係のことである。機能[関数]「 x は青い」の x には、「空」、「海」、「スミレ」等々を、その機能[関数]の真理値を変更することなく代入することができる。他方、「爆発」や「美徳」を代入することはできない。…

「青い」という点で、空、海、スミレは、機能的[関数的]に等価である。この点から統制的多義性ということの意味を捉え直してみるならば、機能[関数]というのは、複数の可能性の等価性を統制するための図式だ、といえるだろう。

関数と機能には、交換可能性という共通点がある。確かに面白い着眼だとは思う。同じ機能を持っているものは交換可能である。例えば、心臓は血液循環の機能をもつ。人工心臓も同じ機能を持っている。よって、心臓は人工心臓と[血液循環に関する限り]交換可能だ。しかし、真理値を変えないで置き換えられる名前の指示対象が、同じ機能を持っているとは普通は言わない。例えば、空と海が青いという機能を持つとは言わない。だから、機能という概念はもっと複雑で、交換可能性という観点からは捕えられない部分があると思う。

別の箇所からも少し引用する。

ある対象を機能によって同定するとき、その対象は本質的に代替可能・交換可能となる。つまり、同じ(あるいはそれ以上の!)働きをする他の対象に(心臓をポンプに、宗教を穏やかな社会風土に)置き換えることが可能になる。だから、機能とはまさしく、新しい可能性を発見せよ、という命令なのだ。 

最後の文には以下のような註がついている。

「(A. Churchの定義によれば)『機能[関数]』とは、所与の物事に適用することで新しい物事を獲得するという性能を持った演算である」 

これは「新しい物事を獲得する」というフレーズにひきずられた言葉遊びに過ぎないんじゃないかと思いたくなる。こんなことでは関数と機能の同義性を確立することはできないと思う。関数を「所与の物事に適用することで新しい物事を獲得する」というのは、例えば、2に二乗の関数を適用することで4を得る、とかそういうことだと思う。他方、心臓に血液循環するという述語を適用しても返ってくるのは真理値であって、「新しい可能性」が返ってくるわけではない。

結論としては、「関数」と「機能」をほとんど同義語として取り扱おうとするルーマンの姿勢に私は共感できない。別にルーマン社会学を批判しているわけではない。何らかのアイテムや現象に対して機能を帰属したとたんに、それと同じ機能を持った別のアイテムがある、という可能性に目を向ける下地ができる、という発想はとても重要だと思う。でも、それだけのために関数と機能の類比や同義性を言いたてる必要はないし、衒学的だし、むしろ有害ではないかと思う。