飯田隆『言語哲学大全1』から。
一座の一階述語のイミは、その述語を満足する対象の全体によって与えられ、二座の一階述語のイミは、その関係を満足する対象の対の全体によって与えられる p.111
ここでいう「全体」は集合のことだろうか。しかし、集合は対象なのだから不飽和表現のイミBedeutungとして割り当てるのは不適切ではなかろうか?むしろ、対象(の対)から真理値への関数ではなかろうか。
…という疑問を抱いていたのだが、野本和幸先生の書評でまさに同じ指摘がなされていたのをたまたま見つけて、ちょっと嬉しかった。