「人間とは何か?」という問題はたぶん哲学の永遠のテーマだろう。それだけに長い歴史がある。
プラトンは「人間」を「羽のない二足動物(featherless biped)」と定義して、キュニコス派のディオゲネスから反論を受けたという逸話がある*1。この話は次の滑稽なやり取りに由来している*2。
プラトンが、「人間とは二本足の、羽のない動物である」と定義して、好評を博したとき、雄鶏の羽をむしりとって、これを講義場に持ちこんで謂う、「これがプラトンのいう人間だ」。以来、この定義には、「平たい爪をした」ということばが付け加えられることになった。*3
プラトンは、アカデメイアで学生たちといろいろな言葉を定義することに熱心に取り組んでいたらしい。おそらく「人間」の定義もその一環なのだろう。
プラトンの定義に対するこだわりは、一般人からするとあまりにも奇妙だったので笑いのネタにされてきた。2世紀頃の知識人アテナイオスが書いた『食卓の賢人たち』は、アカデメイアの学生たちが「西洋南瓜」がどんな種類のものかを論じているさまを紹介している。ある人は丸い野菜であると言い、別の人は草であると言い、さらに別の人は木であると言ったとか。こういうやり取りを聞いていたシチリア人の医者が「いいかげんにしろ」と屁をこいたのだが、アカデメイアの人間たちはそれを屁とも思っていない*4。
アリストテレスは人間を「理性的動物」と定義したことになっている。この定義は、プラトンの「羽のない二足動物」より説得力がある。ただし、アリストテレスの著作中にこのフレーズは見当たらないらしく、合理性は人間をほかの動物から区別する特徴である、と述べたのだとされる*5。ほとんどおんなじではないか、という感じがするけど。