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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

アリストテレスの論理学

マレンボンの『後期中世の哲学』を読んでいたところ

アリストテレスの論理学書は、『分析論後書』を除いて、古代末期に、ボエティウスによって翻訳されていた。p.58

という箇所が目を引いた。『オルガノン』に関してボエティウスが訳したのは『カテゴリー論』と『命題論』の二つだけだと思っていたのでね。例えば、伊東俊太郎の『十二世紀ルネサンス』には

アリストテレスの著作のほとんども知られていなかったのです。アリストテレスの著作のうち、論理学の『範疇論』と『命題論』のふたつだけは、ボエティウスがラテン訳してくれていたから知っていましたが p.12f 

とある*1

マレンボンによれば、ボエティウスは上の二つ以外にも、『分析論前書』とか『トピカ』は訳していた。これに対して、伊東先生の文章はちょっと曖昧で、文字通りには、初期中世においては『範疇論』と『命題論』しか知られてなかったとしか言っていないので、ボエティウスは『分析論後書』以外は全部訳してた、という可能性をいちおう残してはいるけど、まぁ素直によめば、『範疇論』と『命題論』しか訳さなかったという含みがあると思われる。

伊東先生の本は古いので、ひょっとしたら、もう少し時代が後になって、ボエティウスがもっと訳していたことが判明した、ということなのかもしれない。例えば、ネットでいろいろ検索してたら、トマス・アクィナスの『君主の統治について』のレビューの中から、こういう文章を見つけた。

p200のlogica novaに関する[訳者]解説で、ヴィネチィアのヤコブスによって翻訳されたのは「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」「詭弁論駁」とされているが、ヴィネチィアのヤコブスが翻訳したのは「分析論後書」のみで、「分析論前書」「トピカ」「詭弁論駁」の3書については古くからのボェティウスの翻訳が「再発見」され使われている。ボエティウスの翻訳自体は12世紀以前にも存在したのであるが、余り研究の対象にならなかっただけである。6世紀から12世紀まで西洋で「オルガノン」の全貌が知られてなかったというのは明らかに誤りである。すでに6世紀のボエティウスの時点でオルガノン部分の全訳は完成していた。12世紀の時点では散逸していたボエティウス「分析論後書」のラテン語訳を、時代のニーズに合わせて、ヴィネチィアのヤコブスが「再補完」したというのが正しい。 

"logica nova"、つまり、「新論理学」は、初期中世にはほとんど知られていなかった「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」「詭弁論駁」の4つを指す。「ヴィネチィアのヤコブス」は、ヴェネツィアのジャコモ(Giacomo Veneziano)のことで、伊東先生の本によると、彼は「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」「詭弁論駁」をぜんぶ訳したことになってる。上のレビューで突っ込まれている訳者解説は、ひょっとしたらこの伊東先生の本を参照したんではないかな。

以上をまとめると、私の理解した限りでは、こういう構図になっている。まず、初期中世に知られていたものを「旧論理学」、後期中世になって知られるようになったものを「新論理学」と呼び、オルガノンの著作を

  • 旧論理学:『範疇論』『命題論』
  • 新論理学:「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」「詭弁論駁」

と分類することには異論はない。ここでの疑問は、この区別がボエティウスによって訳されたものと訳されなかったものという区別に対応するかどうか。マレンボンや上のレビュアーによれば、対応しない。

どうしてこんな食い違いが生じたのか。熊野純彦『西洋哲学史』p.188によると「現存するのは『カテゴリー論』『命題論』の翻訳のみ」なので、他の著作に関しては、ボエティウスが訳したのかどうか確かなことが言えない、ということなのだろうか?

*1:ページ数は岩波セミナーブック版のもの。