Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

yahoo知恵袋

暇なときにyahoo知恵袋の哲学系の質問を眺めるときがある。8割以上の質問はクズ同然なのだが、たまには普通の質問もある。答えられそうなときは答えたりしている。

先日見つけた質問は、戸田山和久氏の『知識の哲学』の章末についている練習問題の回答を考えてほしいというもので、「あー、大学の授業の課題か何かだけど、自分で考えくないというタイプか…」と思ったが、質問自体に罪はないと思い、適当に答えてみた。

数日後、質問が削除されていた…。そういうやり方もあるのかと勉強にはなったが、私の回答はコピペでそのまま提出できるような代物ではないことを考えると、そこまでして証拠隠滅(?)をはかることに意味はあるのだろうか、とも思った。

とはいえ、このまま回答がネット上から消えるのは癪なので、ここに回答を残しておこう。問題は『知識の哲学』5章(2)である。あまり深く考えないで適当に回答しただけなので、ツッコミのコメントとかいただけると嬉しいです。

問題は三つですかね。

 

  • なぜ、おかしいのだろうか、それを説明しよう。

分かりきったことをわざわざ言っているから、でしょうかね。何かを主張するときは、相手がそれを知らないということが普通は前提になります(「今日はいい天気ですね」のような挨拶は例外かもしれませんが、これはまぁ主張とはちょっと違いそうです)。しかし、「話し手も聞き手もいま或ることがらを直接見ているような状況」であれば、そこに何があるかを自分が知っているということは相手も知っているだろうと予想できそうなものですよね。

 

  • どのようなシチュエーションだったら、「私はしかじかを知っている」ということがそれほどおかしく感じられないだろうか

一つは、錯覚を引き起こすような図形を提示された場合とかですかね。ミュラーリヤー図形とかを見せられたとして、「(一方が他方より長く見えるが、実はそうではなく)これらが同じ長さだと私は知っている」と言っても、まぁそれほど不自然ではないです。あるいは、「しかじかだよ」と言った後に、相手が「本当に?」と疑ってかかってきた場合には「本当だよ、私はしかじかだと知っている」と念を押すように言えばそれほど不自然でないです。

 

  • それらに共通する特徴があるかどうか

一つ目の問題の答えと逆になるかと。私がそれを知っているということが、それほど分かりきったことでないこと、といったところでしょうかね。