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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

徳と男らしさ

古代ローマ質実剛健を理想としていて、「徳(virtue)」の語源であるラテン語の virtus は一般には「勇気がある」「男らしい」という意味で使われており、さらにいえば virtus は「男(vir)」に由来すると思われていた。キケロは次のように述べている。

つまり、「徳」は「男」という言葉から派生したものなのである。男にとって最大の徳は勇気であり、その際立った特性は、死を恐れないこと、苦痛を恐れないことの二つである。それゆえ、もし徳を有していると認められたいのなら、あるいは―「徳」という語は「男」から派生したのであるから―男でありたいと欲するならば、われわれはこの二つの特性を十分に発揮しなければならない*1

もっとも、virtus が vir に由来するのかどうかはどうも疑問の余地があるらしい。神崎繁『魂への態度』p.103によると、virtus はものが発揮する「力(vis)」に由来しているのに vir に由来すると誤解されていた、と断言している。しかし、語源事典とかを適当に調べても、virtueがvisに由来するという主張はほとんど見かけない。むしろ vir に由来すると主張しているものがほとんどで、神崎氏がなぜそう断言できたのか、正直途方にくれている。[だれか教えてください]

語源がどうあれ、徳を男と結びつけるという発想は、思想史を勉強しているとよく見かけるのは確かである。例えば、マキャベリは君主の徳と運命とを男女に対比させていることで知られる。君主の徳(virtu)とは、運命が与える機会を正確に見抜く能力である、とする。それに対し

運命は女神であり、それを支配しておこうとするならば打ちのめしたり突いたりする必要があるからである。運命の女神は冷静にことを運ぶ人よりも果敢な人によく従うようである。それゆえ運命は女性と同じく若者の友である。若者は慎重さに欠け、より乱暴であり、しかもより大胆にそれを支配するからである*2

*1:トゥスクルム荘対談集』2巻43. 邦訳は『キケロ選集12』に所収。

*2:君主論』25章、佐々木訳p.194