マルサスの『人口論』(1798年)を読んでいる。とても面白い。メインの主張と論証は最初の2章でほぼ尽きているのだが、救貧法を批判している5章とか、行為功利主義で有名なゴドウィンをボロカスに批判している中盤の諸章とか、読みごたえがあっていい。もちろん、マルサスが導きだした結論は悲観的ではあるのだが、議論の仕方がエレガントなので門外漢でも参考になるところが多い。
- 作者: マルサス,Thomas Robert Malthus,斉藤悦則
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/07/12
- メディア: 文庫
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的場昭弘氏による解説で少し気になる部分(pp.287-288)があるので、ちょっとメモっておく。的場は、マルサスを女性の姿におびえた中世のヒエロニムス(ウルガタ訳聖書のあのヒエロニムス)の生まれ変わりといえる、とする。ヒエロニムスは女性に触れることを嫌悪し、裁くまで逃げたが、砂漠でも毎晩女性の夢にうなされ、淫夢を避けるために周りに聖書を置いて祈った。それでも幻覚は消えなかった・・・。マルサスの場合、性欲という本能はある意味以上なものを感じさせる。あくなき性欲と日々戦ったのだろう。だからこそ、ほかの人々も同じ欲望に憑りつかれていると考えた・・・。
『人口論』を読んでいてもこういう印象は得られなかった。たしかに、マルサスは人類の性欲がやがて消えることはないという議論をしており、それゆえに人口はほっとけば等比級数的に伸びると言うし、知的な快楽は肉体の快楽より上だとも認める。しかし、彼はこうも言っているのだ。
純粋な恋愛の喜びは、最上級の理性と最高級の道徳による吟味にも耐える[・・・]ただしい恋愛のほんとうの喜びを経験したことがあるなら、たとえ知的な快楽がどれほど大きいかを知って居ても、恋愛の時期こそが自分の生涯でもっともかがやかしい時期だったと思い返すはずだ。p.159
こういうことを言う人物をヒエロニムスのような神経症的な禁欲者と同列に扱うのはどうかと思うわけですよ。