ちょっと古いけど、こういう記事を読んだ。
分析哲学と大陸哲学の交流としてサール=デリダ論争はよく知られているけど、このインタビューによれば、そもそもそんな論争はなかったという話。なので
デリダとサール、どっちがアホですか? — デリダとまともな論争が成立すると考える点においてサールの方がアホなんちゃいますか(褒めている) http://t.co/jhCB0h1n1W
— ytb (@ytb_at_twt) 2015, 4月 4
これは面白い皮肉だけど、残念ながら、実際にはサールは論争が成立するとは思ってなかったようである。
ちなみに、サールはフランスの思想家・哲学者をすべて小馬鹿にしているわけではないようだ。フランス現代思想についてはフーコーは評価しているし、フランスで少数精鋭として分析哲学を研究している人々は特に高く評価しているようだ。具体的には、レカナティ、 スペルベル、ブーブレスなどが挙げられている。恥ずかしながら私は彼らが書いたものを読んだことないけど、レカナティやスペルベルは語用論の文献では名前を見かけたことがある。ブーブレスは『知の欺瞞』の序文で、フランスでも本書を高く評価してくれている人がいるという件で名前が上がっていたと思う。いずれ読む機会もあるだろう。
どうでもいいけど、インタビューの中で細かいけど一つ気になった間違いがある。
様相論理の体系によっては,「P が可能である」から「P は必然的に可能である」が含意されるよね.Mp→LMp だ.*1ルイスのS5ではそうなってるし,たしかS4でもそうなってたんじゃないかな.
サール先生、そうはなっていません。◇p→□◇pはS5原理です。というか、プロの言語哲学者でも、様相論理の知識とかけっこう貧弱なんだな…。
Postscript (2015/9/16)
上で参照したインタビューの中で、サールは次のように述べている。
あるとき,妻とぼくとで彼とランチで同席したことがあってね.彼に言ったんだ,
"Michel, pourquoi tu écris si mal?"――「ミシェル,なんでこんな悪文を書くの?会話じゃあきみだってぼくみたいにはっきりものを言ってるじゃないか.なんでこんなに不明瞭な書き方をするの?」って.そしたら彼が,「ぼくがきみみたいにはっきり書くとね,フランスの書評家連中に子どもっぽいって思われるんだよ.infantil って言われてしまうよ.」 彼が言うには,「フランスじゃあね,少なくとも10%は意味不明じゃなきゃいけないんだ」――"Au moins dix pour cent incompréhensible" だって.「そうしないと,かんたんすぎるって思われてしまうんだ,子どもっぽすぎ るって.真面目に読んでもらえなくなるよ.深みがないって連中は考えるんだ.」
千葉雅也は最近次のようなツイートをした。
思考実験による議論を追うのって苦手。というのは、思考実験って説得しようとしてるものでしょう。いかにも説得されてるという状況になんだかなあと思う。しかし論証は自分でもするし面白いのだが、論証してます!という感じの書き方をされると白けてしまう。きつく言えば、幼稚だな、と思ってしまう。
— 千葉雅也 Masaya CHIBA (@masayachiba) 2015, 9月 11
サールの報告をうまく裏付けていると思う。
*1:M, Lは、ドイツ語のmoglich, logischの頭文字。◇と□に対応する。