Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

広瀬隆『文明開化は長崎から』を読む

原発の活動などで有名なノンフィクション作家の広瀬隆氏の近著『文明開化は長崎から』を読んでいる。とりあえず上巻はある程度読んだところだが、少し感想めいたことをメモっておきたい。

文明開化は長崎から 上 (単行本)

文明開化は長崎から 上 (単行本)

 

著者が本書にこめたメッセージは序章によくまとめられている。いわく、明治維新によって文明開化した、とみな信じこまされてきたが、それは「真っ赤な嘘」(p.24)である。幕末に尊皇攘夷をとなえて刀を振り回した下級武士たちは、「海外の新知識を拒否したほど程度の低い人間たち」(p.16)であり、「幕府を倒す人殺しの技を磨くこと以外、何もしていない」(p.18)。「このようなチャンバラごっこしか知らない勤皇の志士や、その育ての親・吉田松陰を礼賛する風潮が、日本人の歴史観をどれほど毒してきたか」(p.18f)を、日本人はもう少し考えるべきだ。本当に文明開化に貢献した人々の名前を現代の我々は忘れてしまっているが、「それをまっすぐ正して、「この世の真理に取り組み、それを自ら体現した人」を日本人の胸と頭に刻むことが、本書の主眼なのである」(p.23)。

amazonのレビューを少し見たところでは、こうした明治維新dis に対して不快感をもつ読者は一定数いるようだ。私自身も、明治維新に対して広瀬氏ほど無条件に断罪するのはためらわれるのだが、それでも明治維新が美化されすぎな風潮には違和感があるという意味では広瀬氏に共感する。明治時代の負の側面(例えば、柴五郎の記録とか『日本残酷物語』に描かれているような)に現代人はもっと注目してもよいと思う。

序章につづく本論では、ポルトガル船の来航にはじまる日本とヨーロッパとのコミュニケーションが丁寧に紹介されている。本書で紹介されている固有名の多くはよほどの歴史通でないとなじみのないものが多く、読み進めるのは楽ではない。しかし、同じ名前がしばしば繰り返し登場するのを目にすることで、壮大な歴史がおぼろげながらに分かってくる。私は日本史の素人なのでいろいろ勉強になった。とはいえ、本書は学術書ではないためか、註や参考文献一覧などがない。これは本当に使いづらい。

科学史オタクなので、気付いた範囲で細かな間違いと思しき個所を、いくつか挙げておこう。

  • 惑星が太陽に引かれる力が距離の「二乗」に反比例するという原理をケプラーが把握していたというのは間違いだろう(p.174)
  • トリチェリの真空についての考えをローマ教会が「またしても抹殺しようとした」(p.176)というのは強すぎるのでは?
  • 8代将軍の吉宗が洋書の輸入禁止を緩和したというのは確かだが、これはややミスリーディングで、むしろ「漢訳の」洋書輸入を認めたということではなかろうか(p.213)。

全体の大まかな方向性はそんなに間違ったことを言ってはいないとは思う。ただし、こういう初期近代の科学史とはまったく関係ない話題、というか著者の持論がときおり顔をのぞかせることがあり、その辺はかなり注意が必要である。例えば、喫煙の害に関する懐疑論(p. 66)や、地球温暖化に関する懐疑論(p. 175, 315)などである。著者は地球の気候変動に関しては、宇宙線の影響を重視するスヴェンマルクの議論を支持しているらしい。

ティコ・ブラーエによる新星の観測について触れている文脈で、同じデンマーク人だからということでスヴェンマルクの名前が出てくるのだが、かなり唐突と言わざるを得ない。