Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

命題と主題

昔から、一般書にみられる「命題」という語の用法がイマイチ分からなかった。なぜ、名詞や疑問文によって命題を表現できると思われているのか、と。しかし、これはひょっとして、命題と主題が区別されていないせいなのかも、ということに気付いた。実際、広辞苑とかをみると、「題をつける」という意味での用法が一番に上がってるし…。

でも、個人的には、この状況はよくないと思う。数学や論理学を勉強する上でむだな混乱を招く。

数学や論理学の用法では、命題(proposition)は真か偽であるような平叙文によって表現される内容をいう。他方で、主題(subject)は、文が話題にしている何かをいう。

例えば「富士山は日本一高い」と「富士山は静岡と山梨の間にある」は、異なる命題を表現するけど、主題は共通している(富士山)。逆に、命題は同じだけど主題が異なることもあるかもしれない。「カラスは黒い」と「黒くないものはカラスではない」は対偶なので同じ命題を表現するが、主題は異なる(カラスと黒くないもの)。

命題は同じだが主題が異なる例との関連で、こういう話がある。ダンバー『科学がきらわれる理由』の訳者あとがきで、松浦俊輔氏はむかし、数学ができない友人に対して

  • 数学ができなければ人間ではない。

と言ったという。これは、その対偶である

  • 人間ならば数学ができる。

と同値なので、頑張れば君も数学ができるようになると励ますつもりで、そう言ったのだとか。もっとも、友人はその意図をくんでくれなかったし、後で思えば言い方が悪かったと松浦氏は認めているが・・・。しかし、どうして友人を励ますためには前者の言い方が不適切なのかは興味深い問題である。たぶん、主題の違いというのがヒントになるのではないかなぁ…。