Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ヘンペルに関する誤解

宮台真司の文章にはヘンペルの名前がたまに出てくるけど、なんか私の知ってるヘンペルとだいぶ違う…。気になった点をいくつか記しておく。

ヘンペルやアシュビーの不可能性定理*1

アシュビーは名前しか知らないので措くとして、ヘンペルにそんな禍々しい名前の定理あるのだろうか?『システムの社会理論』の文献表には、機能主義批判に関連する文脈でヘンペルへの言及があるが(p.362)、そこで参照されている文献は、1959年の"The logic of functional analysis" だった。でもこれって、生物学とかで行われている機能的説明は彼の提唱する科学的説明のDNモデルに照らすと説明ではない、とかそういう話をしている論文ではなかろうか?

DNモデルといえば、以下の文章も気になる。

数学と基礎物理学は公理系だ。公理系とは公理と推論規則の組合せから多様な定理を導出=演繹するもので、ディダクティブノモロジカル(DM)モデルと呼ばれる枠組だ。生物学や化学は異なる枠組に依拠するが、小室先生はDMモデルを学問の目標に据えて来られた。 *2

”DM”になってるのは単なる誤植だろうが*3、しかし、公理系とDNモデルを同一視するのはいかがなものか。DNモデルは科学的説明とは何かという問いに対するヘンペルの回答である。宮台が依拠する戸田山『科学哲学の冒険』で二つの概念が併せて導入されてるので(pp. 217-219)、それにミスリードされたのだろうか。戸田山がそこで言ってるのは、説明項に表れる科学理論が公理化されてたら理想的、というだけのことだが…。あと、生物学的説明にDNモデルがなじむかは最初からかなり怪しい(それゆえ、ヘンペルは上で挙げたような論文を書いたのだろう)が、化学的説明に当てはまらないとはヘンペルは全く考えてなかったと思う。

最後に、現象学の「として構造」の話をしている脈絡で

als-Structur はHempel以降の科学哲学の常識にさえなった*4

とか書かれているけど、ヘンペルはどこでそんな話をしてるのだろう。「ヘンペル」ではなく、観察の理論負荷性で有名な「ハンソン」なら理解できるけど、まさかそんな誤植ではないよな。

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*1:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=977,

*2:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=1007

*3:小室直樹の世界』p.379ではこの誤植は直っている。しかし、『システムの社会理論』には同じ誤植がある…。宮台も認めるように、『システムの社会理論』には誤植が多い。https://twitter.com/miyadai/status/11856540662

*4:『システムの社会理論』p.144