Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ニュートンの『光学』(岩波文庫)をパラ見してたら、p.366の訳注52で虹の歴史の解説を見つけた。それによると

虹はアリストテレスの『気象論』でもかなり詳しく論じられたが、屈折を最初に考慮に入れたのはグロステストであり、太陽の光が各雨滴に屈折によって入り、ついで1回または2回の反射の後に、屈折によって雨滴から出て、観察者の眼に達する、という近代的な理論を提唱したのはディートリヒである*1

ありがたい説明なのだが、好奇心から疑問がふつふつと湧いてくる。私が気になるのは次のようなこと。

  • アリストテレスは、太陽を背にして雨を見るときに虹が見える、つまり虹に光の反射が関わっていることには気づいていたと思われる。そこまではいい。でも、前に調べた神崎『プラトンの反遠近法』p.156によると、アリストテレスは屈折が虹に関わってることすら気づいていたとある。本当に?
  • 「1回または2回の反射の後に」という記述を見ると、主虹と副虹のどちらについてもディートリヒさんは原理が分かってる感じがする。しかし、そうすると、デカルトは虹について何か新しい知見をもたらしたの?*2

*1:「ディートリヒ」というのは、いわゆるフライブルクテオドリックのことらしい。

*2:追記(2017/4/7):ハート=デイヴィス『シュレディンガーの猫』によると、ディートリヒは虹が見える仰角を22度と大きく間違って記したらしい。デカルトはこの点では正確だったはず…。