Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

団塊の世代

団塊の世代という人々は、評価が難しい存在だ。高度成長を支えたとか言われる一方で、若い世代からは口汚くののしられたりする。例えば、古い記事だけど

この記事によると、橋爪大三郎は次のように述べている。

団塊の世代が抱いている自己イメージは、全くの錯覚です。高度経済成長は1955年から1970年までの経済の成長であり、70年に一度終わっています。団塊の世代が働き始めたのは1970年後以降であり、彼等はそれまでの先人が作った経済システムにただのりしたに過ぎないのに、それをまるで自分が作ったかのように錯覚しているのです

団塊の世代は、貧しかった親とは違い、時代が流れるに連れ、親に比べて自分はどんどん物質的に豊かになってゆくという強い意識の中で育っています。それは団塊の世代特有の意識です。現代の若い世代は団塊の世代とは逆に、親の世代より貧しくなっていくことを意識しています

団塊の世代が働き始めたのは1970年後以降であり」という部分にはちょっと注意が必要かもしれない。成人してから働けばそうなるだろうけど、例えば、中卒で働き始めた人の割合は無視していいほど小さいのだろうか?三浦展によれば、1954年に開始された集団就職は、団塊世代が中学校を卒業する年にピークに達しており、1964年に労働省は中卒・高卒の労働者を「金の卵」と呼んだ*1。とはいえ、中卒・高卒の労働者が高度経済成長の中核を担ったとは言えないだろうから、橋爪のコメントは的外れではないとも思う。

宮台真司のコメントはもっと辛辣だ。

団塊の世代には人口ボリュームがあるのに、見るべき表現者はほとんどいない。僕らの世代(宮台氏の世代)は、連中はみんな馬鹿だと思っている。彼等は、人口ボリュームの多さに奢って、団塊の世代特有の共通前提の中で団塊世代のみで固まっており、何も生み出してこなかった。

政治的には欧米のリベラルな流れに付和雷同しただけであり、実際の制度の建設などには無関心で、何もせず、何も生み出さず、ただ人口が多かっただけ

自らも団塊世代に属する橋爪大三郎は、このコメントに同意している。

宮台先生の云うことには一理あって、団塊世代は、社会の実際の制度作りとか、何も真剣に考えず、何もしないで来た世代

なお、先に引用した三浦の本は、エピローグで次のように書いている(pp. 250--252)。

団塊世代は、理屈っぽい議論が好きな割には、論理的ではない。議論のための議論はするが、細かく論理を積み上げて議論しようとはしない。むしろ感情的である。あえて感情のもつれを生み出すような議論の仕方をする。…

たとえば、社会学者の橋爪大三郎らが全共闘運動を振り返った座談会『三島由紀夫 vs 東大全共闘』を読んだとき、私は橋爪氏以外の言葉がまったく理解できなかった。...

口では革命を叫んでも、結局は大企業に就職していった奴ら 

極めつけは次のコメント(p.261)。

フリーター、無業者の増加は、団塊世代の雇用を守るために若年雇用が抑制されたことと、彼らが子供に仕事の意味を教えなかったことが原因だ。

大いに賛同したい欲求にかられるのだが、ここでは一旦踏みとどまった方がよいかもしれない。三浦の本は基本的には統計に基づいて冷静な議論をしているように見えるのだが、このエピローグは数字に基づかずに大胆なことを言い放ってしまっているという印象を受ける。そもそも三浦は、本文中では、団塊世代にも勝ち組と負け組がいることに触れている(p.248)。

1980年代、40台を迎えた団塊世代は、折からのバブル経済の中で誰もが管理職になった。役職インフレだ。

だからバブルが崩壊すると、新入社員より部長の数が多いという状況が訪れた。リストラが団塊世代を直撃し、早期退職を迫られる者も増えた。彼らは勝ち組と負け組に分けられることになった。

犠牲者がいる以上は、団塊世代のすべてが若年雇用を抑制させたとは言えない。そうすると、ここで疑問なのは、若年雇用を抑制させたのに見合っただけの犠牲者(負け組)を団塊世代が作り出したのかどうか、ということになる。もしそうでなければ、年少者がこの世代を罵倒するのには一理ありそうだ。もっとも、三浦の本はこの疑問については答えてくれないが。

*1:三浦展団塊世代の戦後史』(2007)p.25f