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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

池田信夫の読むウィトゲンシュタイン

以下のページを読んで考えたことのメモ。

天動説に惑星の運動のような例外を際限なく付け加えれば、天体の運動は「説明」できるが、それは理論とはいいがたい。むしろ逆に、人間の行動を古典力学モデルを中心にして考える天動説的な発想を変える「コペルニクス的転換」が必要だ。

天動説に「惑星の運動のような例外を付け加える」ってどういうことだろう。周転円とかエカントならまだ分かる。あと、説明と理論の関係はどうなってるんだろう。

ウィトゲンシュタインの認知構造についての理論

そんなものあるのだろうか・・・?

初期の『論理哲学論考』では、「言語は世界の写像である」と考え、「命題を理解することは計算をすることである」と述べている。このように論理学を数学的な命題計算に帰着させるアプローチは、20世紀前半の分析哲学の主流だったが、これを批判したのが『論考』を英訳したフランク・ラムゼーだった。

ウィトゲンシュタインが「命題を理解することは計算をすることである」と述べている箇所を知りたい。あと、池田が「20世紀前半の主流」と言い切る「論理学を数学的な命題計算に帰着させるアプローチ」が何なのかも気になる。一般には、フレーゲやラッセルは、むしろ数学を論理学に還元する立場をとったとされているけど。

ラムゼーは『論考』の書評で、ウィトゲンシュタインの一見明晰な議論には、根本的な曖昧さが含まれていると批判した。たとえば「φは赤い」という命題はF(φ)という形に書けるが、この命題が真かどうかを決めるには、φが何を意味するかが厳密に決まっていなければならない。それを決める手続きは一般には容易ではなく、辞書の定義はウィトゲンシュタインも指摘するようにトートロジーである。要するに、日常言語を純粋な論理形式として記述することは不可能なのだ。

正直何を言っているのか分からない。あと、「辞書の定義はトートロジーである」とか指摘している箇所あったっけ。まさかとは思うが、トートロジーを普通の意味での同語反復と勘違いしていないことを祈る。

そもそも、池田が念頭に置いているとおぼしきラムジーの文章はどんな感じなのか。

「φ は赤い*1」を分析すると、「φ であるものが一つ、そしてただ一つだけ存在する、かつ、それは赤い」となる。この分析された命題に「それは赤い」が現れることが示すのは、「φ は赤い」という命題の意義は、a が φ のタイプに含まれる場合の「a は赤い」という命題の意義を前提としている、ということである。しかし、そうではないこともある。なぜなら、記述を含む命題が、少し違った仕方で分析されなければならないからである*2例えば「φ は実在する」を分析して得られる命題は、「φ であるものが一つ、そしてただ一つだけ存在し、かつ、それは実在する」ではなく、単に、「φ であるものが一つ、そしてただ一つだけ存在する」だからであり、この命題の意義は「 a は実在する」という命題の意義を前提としない。それを前提するのはナンセンスなことである。なぜなら「 a は実在する」の真偽は、現実と比較せずともこの命題を良く吟味するだけで判明するからである。これは真正の命題にはありえないことである。しかし、一つには「 a は実在する」と「 'a' が意味する対象は実在する」の区別を見落とすことから、また一つには、「~は実在する」は ~の部分が記述によって埋められる場合は常に有意味なうえ、私たちが記述と名前の区別に十分に敏感でないがゆえに、「 a は実在する」という命題が、あたかも有意味な命題のように感じられるときがあるのだ。ウィトゲンシュタイン氏はこの錯覚に幻惑されて、名前「a」が実在することは a が実在することを示すが、しかしそれを主張することはできない、だがそれこそが神秘的なものを構成する核心である、と主張するまでに至っている*3

難しいが、おおよそ次のようなことを言っているようだと私は読んだ。

仮に、"φ"を「現在のイギリス女王(The present queen of England)」という確定記述だとすると、 「現在のイギリス女王は赤い」は「現在のイギリス女王であるものが一つ、そしてただ一つだけ存在し、かつそれは赤い」と分析される(もちろん、偽)。他方、「現在のイギリス女王は実在する(exist)」なら、これの分析は「現在のイギリス女王であるものが一つ、そしてただ一つだけ存在し、かつそれは実在する」ではなく、「現在のイギリス女王であるものが一つ、そしてただ一つだけ存在する」となる。このように、「…は実在する」という述語は「…は赤い」とは異なった論理的身分を持つ。それはなぜか。固有名"a"が指示対象をもつことは前提されるので、「aは実在する」は経験的に真偽が決まるような命題ではない。その意味で、「aは実在する」は有意義な命題ではない。

Postscript (2014/8/17)

池田の論理学の知識がどの程度のものかをよく示している記事を発見。

*1:"The φ is red."

*2:誤訳を訂正

*3:『論理哲学論考』の書評