ラカン派の現代思想家であるスラヴォイ・ジジェクは、環境問題について、後期ウィトゲンシュタインが言うところの「客観的確実性」を腐食するものと述べている*1。「地球は数十年後も人の住める惑星である」という命題は、経験命題であるにもかかわらず、言語ゲームの基礎をなすが故に疑いえない、とウィトゲンシュタインは考えたのだった。さて、ジジェクはこの種の問題(例えば、環境問題)に対する人々の受け止め方は3通りに分かれると述べる。
- 否認:本当に深刻な問題であるとは受け止めず、何事もないかのように振舞う。
- 強迫症:生態系の危機を本気で受け止めるが、熱に浮かされたように働き続ける。まるで、これをやらないと言葉にできない大変なことXが起きる、とを叫ぶ。
- 妄想:エイズを罪深い生活に対する天罰と捉えるように、生態危機にも何らかのメッセージを読み込む。
ジジェクはどれも適切な応答ではないという。生態危機という「現実界」をなんらのメッセージも読み込まずに受け入れねばならない。
まぁ、この結論が正確にいって何を意味しているのかはあまり明瞭ではないのだが。ところで、こんな古い本を今さら蒸し返してしまったのは、現在読んでいる反・反原発本のせいである。
- 作者: 藤沢数希
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/02/17
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ちなみに、ジジェクはチェルノブイリの原発事故にも触れている。本書のスタンスは、上のジジェクの分類だと否認に分類されるのかもしれない。それと、しばらく前に紹介したジャレド・ダイアモンドのスタンスは、たぶん強迫症に分類されるだろう。さて、ネット上の反応を見ると、多くが藤沢氏の本に好意的という気がするのだが、例によって私は大して説得されていない。なぜなのかを日を改めてメモってみる。(続)
*1:『斜めから見る』p.73。ちなみに『確実性について』の時期のウィトゲンシュタインは「晩期」と呼ばれることもある。