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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

書評

最近出版されたちくま新書の入門書について、簡単な感想。

分析哲学講義 (ちくま新書)

分析哲学講義 (ちくま新書)

著者は「すでにくわしい方は、本書で何が述べられているかだけでなく、何が述べられていないかをぜひ読み取ってください」(pp.9-10)と書いているので、じゃあ遠慮なく書いてみる。

  • 野矢茂樹さんの『哲学の謎』などとは違って、本書はいちおう簡潔な学説史の紹介を目指した本なのだと思う。そのため、固有名が数多く登場することになっていて、Amazonのレビューにもあるように、初学者には少々読みづらくなっているのではないかと思われる。でもレビュアーは満足しているようだし、その点は大した問題ではないのかもしれない。でも、学説史としては結構偏りがあるという印象がある。
  • 「まず世界があってそれを言語が写し取るという直観ではなく、まず言語があってそこから世界が開かれるという直観が、分析的手法を支えています」(p.14)。そうかもしれないけど(私は同意しない)、本書を読んでその感触を得られるのかどうか微妙な気がする。個人的には、単称名によって指示されるものが対象なので、数は対象であるといったフレーゲの議論が一番しっくりくる具体例だけど、それは高度過ぎるのかな。というか、見返してみるみると、本書ではフレーゲがあまり出てこないのか。
  • 本書は、記述理論がたてられた動機を、指示対象を欠いた空な名前の意味をどうするか、という問題への対処として導入している。記述理論は意味の指示対象説を前提にしているのだが、そもそも初学者にとってこの立場ってそこまで頑張るほど魅力的に見えるのだろうか。それと、記述理論の紹介としても不親切で、スコープや不完全記号について何も言ってない他、排中律のパズルや内包的文脈での代入不可能性や存在否定文の問題について何も触れていない。
  • 「述語論理学が、文を関数のように扱う」(p.69)。少々ミスリーディングな気がする。文は真理値を値にとる0項関数を表すと考えることができるが、ここではそういう意味では言われていない。文「アインシュタインは男性である」は「---は男性である」の空白に「アインシュタイン」を代入したものと見なせる、と言っている。しかしこれは、「yはxの関数である」という言い方から「yは関数である」を導くのと似た奇妙さがあるように思う。
  • クワインについて言及する箇所で、「量化表現を用いた文は何についての文なのでしょうか」と問いを立てて、「存在するすべてのものについての文」(p.82)と言っているが、これについては少々疑問がある。まず、文「ソクラテスは死すべきものだ」がソクラテスについての文であるのと同じ意味で、「∀xFx」という文がすべてのものについての文だというのはあまりしっくりこないし、そこでいう"aboutness"という観念自体が伝統論理に依拠しているように思う。また、この言い方だと「∀xFx」の真理条件が、「どの個別のxについてもFである」という風になっていることを見過ごさせる気がする。
  • 『論考』について触れている箇所で、「語ではなく文が意味の起点となるように、ものではなく事実が存在の起点となる」(p.89)と言っておきながら、「命題を語(名)に分解できるのと同じ形式のもとで、事実はものに分解できる」(p.90)と言っていて、両者がどう調停されるかを全く述べていない。
  • 固有名の記述説をとると、「アリストテレスプラトンの弟子でなかったら」という仮定は矛盾した仮定になる、という(p.171)。直ちにはそう言えないという点は、前に東浩紀をdisったときに書いたので、省略。でも、記述理論のところでスコープについて触れなかったから、これは仕方がないかも。
  • ルイスの因果論に触れる箇所で、「因果法則を反事実条件によって―もし〜であるなら…である、といったかたちで―理解するなら」(p.181)とあるが、大雑把すぎるし、単称因果と一般因果の区別にも触れていない。また、「ヒュームが指摘したように因果的な力は認識不可能ですが」と言い切っているが、そんな合意はないはず。

もう疲れた。