コンピュータ文化そのものが、かつては見えないものだった意味の領域をできるだけ見えるものに変え、コード化し論理化しようとする情熱を原理的に抱えている。計算機科学や情報理論とは、そもそもが、すべてが見えること、操作可能であることを理想とした学なのだ。それは思想史的には、20世紀前半の論理実証主義から引き継がれたものである。*1
うーん、計算機科学のルーツはライプニッツ(17-8世紀)の普遍言語に求められる、とよく言われるよね。論理実証主義にルーツを求めるというのはこの箇所以外では聞いたことが無い。チューリングを論理実証主義者にカウントしているのだろうか。
*1:東浩紀『動物化するポストモダン』p.185n53