Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

産業革命の起源

山形浩生のブログ「経済のトリセツ」で、彼のamazonレビューがまとめて掲載されていたので、軽く読みふけってしまった。その中で、グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』のレビューに追記がなされているのに気付いた*1。以前の彼のレビューはかなり本書に対して否定的で、

肝心の産業革命については、ずいぶん分析も薄いうえ、出てきた答えは実は何ら目新しくない。そして最後は「わからん」という

とバッサリ切り捨てていた。しかし、今回の追記だと、

2017年のいまにして思えば、このレビューは本当に読みが浅かった。この本は最終的に、産業革命はほぼ遺伝要因である、と主張する本。生産性があがったのも、生産性の高い階級が子だくさんだったから、という。

と書かれている。こちらの新しい感想は私自身の読後感とも一致しているので、一安心したところだ。実際、この本の冒頭1章を読むだけでも、そういうアイデアがほのめかされていると思うし。クラークによれば、産業革命はイギリスで生じた真の理由は、社会の安定性と人口動態(人口が伸びず、富裕層の出生率が高い)という偶然的な要素である(p.29)。1800年までのイギリスでは、経済的な成功が生殖の成功とつよく結びついていた。極貧の子供は生き延びられず、その家系は途絶えた。つまり、イギリスではつねに人口の下方移動が生じた。富裕層の多数の子供は社会階層を下りることで職にありついた。富裕層にみられる忍耐・勤勉・創意工夫・想像力・教養といった特質(中産階級的な価値観)がこうして社会全体に広まっていった(p.25)。

中国や日本でも中産階級的な価値観が重んじられた。にも拘らず、中国や日本が英国と同じ速さで発展しなかったのは、上流階級の出生率が、一般大衆の水準を若干上回る程度にすぎなかったから(p.30)。

極めつけは1章の最後。現代人は経済的成功を収めるために尋常でない努力をしてマルサス的経済の均衡をうちやぶった人々の子孫である。現代人が幸福になれないのは現状に満足していては敗れ去ってしまうという事実の反映でもある(p.39)。

反事実条件法と歴史

最近、アメリカのドラマ『ビッグバンセオリー』を見ている。知らない人のために、wikipediaから「あらすじ」を引用しておく。

2人合わせたIQが360という二十代の仲良しオタクコンビ、レナードとシェルドンはカリフォルニア工科大学の物理学者。カリフォルニア州パサデナにあるアパートで同じ部屋に住むルームメイト同士でもある。2人揃って頭脳は明晰で、博士号を得るほど賢いが、どうも世間からズレていて友人もみんな変わり者。しかもルックスがイマイチなので女性にモテる気配もない。そんな2人の部屋の向かいにある日、キュートなブロンドの独身美女が引っ越してきたことから始まるコメディ・ドラマ。

シェルドンの発言には教えられる(?)ところが多いので、しばらくこのお店でもシェルドンの発言を切り口にして記事を書いてみようかと思った。とりあえず最初のネタは、科学と関係ない話題から。[注:エイミーはシェルドンの彼女的ななにか]

Sheldon: All right, I’m ready for my next question.

Amy: In a world where rhinoceroses are domesticated pets, who wins the Second World War?

Sheldon: Uganda.

Amy: Defend.

Sheldon: Kenya rises to power on the export of rhinoceroses. A Central African power block is formed, colonizing North Africa and Europe. When war breaks out, no one can afford the luxury of a rhino. Kenya withers, Uganda triumphs.

Amy: Correct. My turn.

Leonard: What the hell are you guys playing?

Sheldon: It’s a game we invented. It’s called Counterfactuals.

Amy: We postulate an alternate world that differs from ours in one key aspect and then pose questions to each other.

Sheldon: It’s fun for ages eight to eighty. Join us.*1

「サイが家畜になっているような世界では、どの国が第二次世界大戦の勝者だっただろうか?」という反事実的な問題に対して、シェルドンは奇妙な理屈で「ウガンダ」という答えを正当化する。あまりに突拍子もないので、そこが笑えるわけだが。

歴史にifを問うことは意味をなさないとか、少なくとも実証的な歴史学にはふさわしくない、といった忠告をよく耳にする*2。反事実的な問題を好き勝手に立ててしまうと、客観的な答えを与えようのない問題が増殖してしまう、といった懸念があることは、上のようなやり取りを見るだけでも理解できる。

しかし、個人的には、歴史学はifの問いを扱わないといった紋切り型の忠告には昔からいまいち納得できないでいる。例えば、実証的と称する歴史学者も因果性を語ることはあるのではないか。こういう出来事が原因となってそういう出来事が起きました、みたいな。もしそうなら、因果言明と反事実的条件法の間には繋がりがありそうなので、因果言明だけ認めて、反事実的条件法を全面的に拒絶するのは辻褄があわない、というのが私の印象である。どんな繋がりがあるかといえば、まず考えられるのは

  • 出来事cが出来事eを引き起こす ⇔ cが起こらなかったら、eは起こらなかったであろう

といった定式化である*3。これには色々な反例があるのだが、それでも右→左方向の含意関係が成り立つという主張はけっこう手堅いのではないか、と思われる。そういうわけなので、ifを問うな、と言い切るのはよくなくて、慎重になれ、という程度で済ませるべきではないか、と思う。

*1:Series 04 Episode 03 – The Zazzy Substitution | Big Bang Theory Transcripts

*2:歴史に「もし」を問うのは未練がましく思っている人の寝言のたわごとだという意見が、E.H.カーの『歴史とは何か』邦訳pp.141-144にある。

*3:古くはヒュームにさかのぼる定式化。

司馬史観を問う?

テレビの歴史番組で最近よく見かける磯田道史が司馬遼太郎についての新書を上梓した。未読なのだが、amazonのレビューを見たら、歴史家が司馬遼太郎を論じることはこれまでほとんどなかった、と著者は言っているらしい。レビュアーは大御所がこれまでにも司馬論を書いているでしょ、と批判している。このレビューを見て何となく気になったので、レビュアーが言及してる中村政則の本を図書館で借りて読むことにした。

検索してみると、『近現代史を問う:司馬史観を問う』(1997)と『『坂の上の雲』と司馬史観』(2009)の二冊が見つかった。前者は岩波ブックレットなのですぐに読めるかと思ってこの順で借りたのだが、前者は後者の3章に収録されていたので、二つも借りる必要はなかった…。

著者による司馬批判のポイントは、一言でいうと、明るい明治と暗い昭和という対比は単純すぎであり、また(これと関連するが)、日清・日露戦争を祖国防衛戦争と位置付けるのは不適切、といったところだろうか。『近現代史を問う』は副題で「司馬史観を問う」とある割には司馬のファンだという藤岡信勝自由主義史観を批判するのが主目的といった体裁の本で、批判が飛び火するような形で司馬も攻撃されているという印象。

坂の上の雲』をやや詳しく取り上げている『『坂の上の雲』と司馬史観』の1章は、祖国防衛論を否定しつつ、『坂の上の雲』の細かな事実誤認をいくつか指摘している。こういう作業に対して、小説なんだから面白ければいいだろうと言う人もいるわけだが、著者は司馬が『坂の上の雲』について、小説ではあっても「事実に拘束されることが百パーセントにちかい」「小説というのは本来フィクションなのですが、フィクションをいっさい禁じて書くことにした」と言ってる、とする。司馬がそう言っている以上、小説なんだから面白ければいいだろうという擁護論は勘違いもいいところ、ということになるだろうか(pp. 68-69)。

なお、著者は『坂の上の雲』の執筆時点でアクセス可能な情報によって防げたはずの事実誤認と、その後の研究によって誤りだと分かった記述を分けている。これは実証的に批判するからには心がけておくべき態度といえる。しかし、私は著者の記述にも間違いがあるのではないかと疑っている。

この義和団事変の際、連合軍は八月中旬、いわゆる旅順虐殺事件を起こした。p.16

…たしかに義和団は、日本人捕虜の首を切り、手足を切断するなどの虐殺を行った。だが他方で、日本軍もその報復として約200人の中国人を虐殺し、無防備で非武装の住民を三日間にわたって家のなかで無差別に殺した。米英の新聞『ニューヨーク・ワールド』や『ロンドン・スタンダード』が「日本軍の大虐殺」の見出しで報道し、その記事は欧米各地の新聞に転載された。p.17

いわゆる旅順虐殺は1894年11月であり、義和団事件北清事変)は1900年なので、ここは時系列がおかしいと思う。引用箇所は、義和団事件のときに連合国軍、とくにフランスやらドイツは略奪をほしいままにしていたのに対して日本軍は「一兵たりとも略奪しなかった」と司馬が書いていることに対して疑いをさしはさむ、という文脈である。この時期の日本軍の品行方正を強調する司馬に対し、著者は終始懐疑的だ。それはわからないでもない。しかし、日本軍をとにかく悪く描きたいがために、上のような時系列の混乱が生じてしまったのではないか。歴史家として実証の意義を強調する一方で、自身も先入観で目が曇っているのではないか。そんな風に思った。

プラトン実名変更説

古代ギリシャの哲学者プラトンには、次のような逸話がある。「プラトン」という名前はじつはあだ名で、本名は「アリストクレス」という*1。「プラトン」とは肩幅が広いといった意味のギリシャ語で、プラトンは立派な体格をしていたのでそう呼ばれた、と。

あだ名のほうが有名になって実名を退けてしまったというこの「プラトン」実名変更説はディオゲネス=ラエルティオス『哲学者列伝』のプラトンの章に出てくる*2プラトンの父方の祖父はアリストクレスと呼ばれ、長男が父の父にちなんで名づけられる慣行があったらしい。

この説には批判も多い*3。この説のルーツをたどろうとしても紀元前3世紀くらいまでしかたどれない。前3世紀はプラトンの死後であるから、おそらく死後に生じた伝承である。そもそも、プラトンが長男だったという証拠はないし*4、「プラトン」というのも当時としてはありふれた名前で、あだ名らしく見えない。斎藤によれば、名前に語源的な説明を与えるギリシャ人の好みを反映した伝承だろう、とのことである。

関連記事

 

*1:ブラックバーンプラトンの『国家』』(木田元訳)の訳者あとがきp.245

*2:邦訳、上巻p.251f

*3:藤忍随『プラトン』(講談社学術文庫)p.17以下。アナス『プラトン』p.17以下も参照。

*4:『弁明』からアデイマントスがプラトンの兄だと分かるから。

ブロンドジョーク

ブロンド女性についてのジョークはあるが、魅力的な女性がうぬぼれが強くて得をするわけではない*1

「ブロンドジョークblonde jokes」で検索してみると、色々見つかった。そこそこ面白いのでお試しあれ。どういう背景があるのか知らないけど、金髪女性はずいぶん小バカにされているのだろうか。そういえば、コメディの『ビッグバンセオリー』で主人公たちの隣人でウェイトレスをやってるペニーは金髪女性で、ちょっと頭が弱い感じに描かれてるけど、こういうのが金髪女性のステレオタイプなのかね。

*1:ピンカー『人間の本性を考える(下)』p.184f

クラスの混同

上野千鶴子構造主義の冒険』(1985年)p.70から。 

「支配の正統化」とはウェーバーが定式化して以来、支配に内在する永遠のパラドックスである。このパラドックスは、正統性は自らの内には正統化根拠を持たない、という矛盾に起因する。正統性が自らの正統化根拠を自らの内に求めることは、「クラスの混同」というラッセルの矛盾を冒すことになる。

正統性の根拠を自らの内にもつことはできない、という話がどうしてクラスパラドックスの話にすり替わるのだろうか。「タイプの混同」なら分かるが、「クラスの混同」というフレーズは奇妙ではないか。…といった疑問がすぐに浮かんだ。

しかし、その後でもう少し冷静になってみると、「この時代の社会学業界では、数理論理学の話題と無理やりでもいいから結びつけないと学者とみなしてもらえないといった空気が支配していたのだろうなぁ」という感想にかわった。実際、宮台真司も『システムの社会理論』の中で、当時は形式化へのオブセッションが強烈にあった、と言ってる(p.220)。この「オブセッション」という表現はここでの文脈にうまく当てはまっていると思う。彼自身も論文の中で、例えば「血讐のマルコフ連鎖」とかいう表現を使ってるのだが(p.272)、これとか何の意味もないと思う。「血讐の連鎖」でいいじゃん。

世界史の哲学

『世界史の哲学』という文章を大澤真幸が書いている。これは『群像』に連載されてるもので、今のところ『古代篇』『中世篇』『東洋篇』『イスラーム篇』『近世篇』が書籍になってる。まだ続いていて、もはや逝けるとこまで逝くという感じである。

たぶん、今までの大澤の文章をある程度読んでる人にとってはあまり新味はない。彼はいつも同じようなことを言ってるが、最近の文章を読んでそれまで理解できなかった筋が見えたということもないし…。たしかに、大澤が紹介している小話から得られる情報はそれなりに多い。何だかんだで彼はそれなりに博学だし。まぁ、参考文献一覧がないし、索引も付いてなくて使いづらいけど…。

でも、個人的にはもう正直、大澤の議論は利用する証拠にバイアスがかかってたり、単なる言葉遊びのペテンにしか見えなかったりで、読むのがつらい。新刊の『近世篇』もぱらっと眺めてみたけど、つらい。

大澤いわく、通説では、近代科学は言葉(聖なるテクスト)による論証を事実による論証に置き換えた。しかし、ガリレオによれば、科学とは宇宙と言うわれわれの眼前につねに開かれた偉大な書物を読むことなのであり、実験や観察はそのテキストを読むことだ。よって、事実による論証も一種の言葉による論証である(p.145f)。

自分は到底納得できないのだが、ちなみに、観察と実験を重視した王立協会のモットーが「言葉によらずNullius in verba」なのはどう説明されることになるのだろう。

また、科学革命の時期は経験に対する疑いが増した時期でもあったとしてデカルトの懐疑を傍証として挙げている。デカルトで科学革命を代表させるのは極端だし、デカルトの懐疑だと、2+3=5のような算術の真理さえ疑われるのだけどなぁ…。まあたしかに、デカルトは感覚は明晰判明性が低いとか、「たとえ経験がわれわれに反対のことを示すように思われても、われわれはやはり感覚よりも理性により多くの信頼を置くべき」(『哲学原理』)みたいな議論してる人だけど。