Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

げんきな日本論

 『ふしぎなキリスト教』→『おどろきの中国』につづく(?)対談シリーズの第三弾。ざっと目を通してみた。

類書としては東島・與那覇『日本の起源』あたりが挙げられるかもしれない。予備知識のない読者にとって『日本の起源』より読みやすいが、索引がないし、関連文献への言及があまりに少ない。結局のところ、すでにamazonのレビューなどでも指摘されているが、このシリーズ本の内容の大半は「対談者の知識に基づく推察や仮説、アイデアによるもの」ということに尽きるのだろう。よって、読者には話半分に受け止めるスキルが求められる。第一部、第二部の、日本語の書き言葉について話してるところとか素人目にみてもヤバそうだよね。

自由な発想を書き連ねたこういうタイプの本は、必ずしも悪いわけではないと思うのだが、せめて出版する前に日本史の専門家に軽くでもいいから目を通してもらえばいいのに、と本当に思う。日本史に明るくない私でも首をかしげる箇所がチラホラみられるのだから。対談を正確に文字おこしすることに、なにか拘りでもあるんだろうか…。

気になった箇所をいくつか挙げておく。

室町幕府なんか、しょうがないから、宋と貿易して儲けようとした。p.240 

「宋」は「明」の間違いだろう。

硝石は希少物資で、南米でたくさん採れる。それが流通して、ヨーロッパの船で日本に届く。硝石は、日本で採れないのです。p.277 

硝石を輸入に頼ってたのはたしかだが、南米のチリで大量に採れるようになったのは戦国時代よりずっと後で、戦国時代は中国やタイからの輸入に依存していたのではないかと思う。八切止夫みたいに、ヨーロッパのキリスト教国がキリシタン大名チリ硝石の販売で懐柔しようとした、という人もいるけど、信ぴょう性は低いと思う。

日本では鉄砲や大砲が戦場の主力にならなかった、補助的なものでしかなかった、大阪の陣では大坂城を大砲で打ち崩してしまえばよかった(p.310)。これはちょっと過小評価しすぎじゃないかなと思う。じっさい、大阪冬の陣は、砲撃の嵐で淀殿とその周辺に厭戦気分が広がったから停戦したのではなかっただろうか。

信長の革新性を高く見積もっているのも最近の研究動向とはズレている。もちろん、最近の研究動向は信長の革新性を低く見積もり過ぎだという反論もできるが、もしそう思ってるなら、そう書くべきだと思う。最近ホットなトピックなのだから。それと、安土城に関して、天守=天主にもとづいてヨーロッパの聖堂建築からの影響を強調しているけど(pp.271-274)、これなんかも学界ではどちらかというと少数派ではなかったっけ。まぁ私はこの仮説は好きだし本当だったら面白いとは思ってるけど*1

*1:安土城の建築に関する論争史は、井上章一『南蛮幻想』の整理がよいと思う

記述理論(3)

ラッセルの「表示について」は表示句を消去することに全力を注いでいる論文で、"is an F" のような述定表現すら例外にせず、"is F'" のような代用表現に置き換えようとしている、ということを以前このブログで書いたことがある。いささか病的な雰囲気を感じさせるところだ。

ところで、この論文はかなりウィットに富んでいることでも知られる。イギリス王室について予備知識をもつことで、より楽しんで読むことができるかもしれない。

有名な例文として「現在のフランス王ははげである」がある。この例文がどこから来たのか、論文を読んでしばらくすると忘れてしまいがちだが、もともと、この例文に先立って「現在のイギリス王ははげである」という例文が検討されている。当時の王はエドワード7世で、彼ははげだった(wikipediaの写真を参照)。この例文はエドワード7世についての文であるように見える。

で、この例文と形のうえでそっくりな「現在のフランス王ははげである」は一体誰についての文なんですかねぇ…というのがラッセルのパズルだった。このパズルを解く手段を与えるのが記述理論ということになる。パズルに関してラッセルは、論理学の理論はパズルを解く能力によってテストされうる、パズルは物理学における実験と同じ効果をもたらしてくれる、というようなことを論文のなかで述べている。

「表示について」で検討されるパズルは他にもある。その一つは、ジョージ4世の好奇心と呼ばれる。問題になる例文は「ジョージ4世はスコットが『ウェイヴァリー』の著者なのか知りたがった」である。スコット=『ウェイヴァリー』の著者なので、ジョージ4世は同一律を疑ったことにならないだろうか。ラッセルはヨーロッパ第一の紳士が同一律を疑うなんて信じられない、と書いている。これは皮肉であり、王子時代のジョージ4世は札付きのワルで知られていたらしい。

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固有名と固有名詞

分析哲学の文献を読み始めると「固有名proper name」という言い回しが多いことに気付く。中学や高校では「固有名詞proper noun」と呼んでいたはずなのだが…と思いながらも、次第にこんな区別のことは忘れるようになる。入門書をみても

固有名(固有名詞)*1 

とか

固有名あるいは固有名詞と言われる*2 

とか

哲学では固有名詞のことを「固有名」と称するのが通例*3 

などとある。しかし、区別をつけるとすれば、おおよそ次のような仕方で理解しておけばよいらしい、ということを最近知った*4

固有名は前理論的な概念であり、固有名詞は冠詞のような品詞の一種であり、品詞は言語を理論化するために生じる理論的語彙である。固有名詞はひとつの単語であり、どれも固有名の資格をもつ。たとえば、SaulとKripkeはどちらも固有名詞であり、Saulは若い女性哲学者の固有名かもしれないし*5、Kripkeは様相論理の完全性を証明した論理学者を指示する固有名かもしれない。Saul Kripkeは複合表現なので固有名詞ではないが、固有名である。The Holy Roman Empire, University of Manchesterなども、固有名詞ではないが、やはり固有名である。

なるほどー。

*1:青山『分析哲学講義』p.61

*2:服部『言語哲学入門』p.43

*3:三浦『ラッセルのパラドックス』p.106

*4:和泉悠『名前と対象』p.3

*5:Jennifer Saulという女性哲学者がいる。

利子の禁止

最近、モンタネッリ『ルネサンスの歴史』を読んでいるのだが、カトリック教会に対する批判的なスタンスがあちこちでにじみ出ていて面白い。例えば、14世紀の商人たちを紹介する12章にはこんな話がある。

金を持っているのが教会だけだった時代、教会は法外な利息で金を貸していた。ところが、世俗の私的資本が形成され始めると、アウグスティヌスとヒエロニムスの言葉を急に思い出して、金銭の移動による利得はすべて不正だと決めつけた。そのくせ聖職者は金貸しをやめなかったのだが、俗人が同じことをすると破門した。トマスは「正当な利子」なら合法だと言ったが、何が正当なのかをはっきりさせなかった。銀行家は非難をかわすために、高利の罪をおかすのは魂だが、銀行組織には霊魂がないから高利の罪はおかしえないと論じた…。

もしこの記述が事実だとすると、教会は一貫して利息をつけて金を貸すことに手を染めていたことになり、興味深い。大澤真幸の本とかを読むと*1、彼はウェーバーに追随しているので、資本主義の起源はむしろ資本主義に敵対的な心性に求めなければならない、としている。キリスト教は他の宗教と同様に利子を禁止していたが、締め付けがあまりに強かったので、そこから資本主義が出てきた、というストーリーを彼は何とかして描こうとする。でも、モンタネッリの言う通りなら、そもそも教会は最初っからガバガバだったのではないか。最初からガバガバなら、なし崩し的に利子をとることがアリになっていった、としても奇妙ではない。

ついでにいうと、大澤の議論には別の疑問もあると思う。彼は「ウスラ」を利子と同一視したうえで、不当とされた利子がどうして許容されるようになったのか、という形で問題を立てている。だが、当時でさえ、正当な利子が正当でない利子から分けられていたのではないか。例えば、商売の元手になるような資金の貸し借りにおける利子に関しては、商売が成功して元金以上のお金が返却されることが多く、商人どうしの信頼として内部処理された。つまり、黙認され、社会問題化しなかった。これに対し、消費者金融のようなものも13世紀にはすでにあって、これは困窮した個人に金を貸し付けて破産に追い込むので普通に社会問題化した。こういうケースこそがウスラと呼ばれうる*2。そこで思うのだが、困窮してる人間にすべきことは与えることであって利子をとってまで金を回収するのは不正義だ、という感覚は利子が一般化している現代人でもそれなりに理解できるのではないだろうか。もっとも、現代人だったら、悪いのは利子そのものというより利息請求が法外であることだ、と考えるだろうけど。

*1:例えば、『文明の内なる衝突』、『世界史の哲学 中世編』、『ふしぎなキリスト教』など

*2:八木雄二『神を哲学した中世』4章

フレーゲ著作集5

5巻の編者解説を読んだ。

フレーゲ著作集〈5〉数学論集

フレーゲ著作集〈5〉数学論集

 

このシリーズのほとんどの巻で編者解説を書いているのは野本和幸先生だが、5巻は飯田隆先生である。大筋としては、フレーゲは同時代の数学の哲学者たちと論争を繰り広げており、そうした論争状況を整理することでフレーゲの立場というのも明確になるであろう、と。短い文章ながらかなり勉強になった。メモを残しておく。

フッサール

フッサールが『算術の哲学』における心理主義をまもなく撤回したのはフレーゲの影響による、というのがかつての通説だった。しかし、モハンティによる詳細な研究により、フレーゲの批評が出るよりも前にフッサール自身の手によって心理主義は葬られていたことが明らかになったらしい。p.327

ヒルベルト

幾何学の基礎』における公理についてのヒルベルトの考え方は革新的で、現代論理学の創始者フレーゲであってもその革新性を理解できなかったというのが1960年代くらいまでの通説だった。しかし、この評価は20世紀後半に大きく変わった。p.327f

この点(フレーゲヒルベルト論争はフレーゲ勝利だった)は『言語哲学大全』でもさりげなく触れられていた*1。私は飯田先生の立場に共感するのだが、しかし、この評価が本当に学界で定着しているのかはちょっと疑問だったりする。シャピロの『数学を哲学する』とか、割とフレーゲに冷淡だったし。

*1:言語哲学大全2』pp.178-179

日本史の誕生

東洋史の有名な研究者の本を読んでみた。

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

 

岡田氏の本を読むのははじめて。分かりやすく書かれている本で、はっとさせられる箇所もあって勉強になった。

ただ、「岡田史観」などと言われるくらい独特な歴史観の持ち主だということは、ざっと読むだけでもよく分かった。たとえば、邪馬台国の位置に関して、畿内説でも九州説でもなく瀬戸内海沿岸だと主張しているとか、「日出処の天子」は推古天皇ではなくそもそも推古天皇は存在自体うたがわしいとか、『古事記偽書説とか。私は別に日本史に詳しいわけでもないが、これらはたぶん通説とは違うだろうなと思う。邪馬台国畿内だろうし、推古天皇は実在しただろうし、『古事記』は本物なんだろう、と漠然と思っていたし、本書を一読しても意見を変える必要はあまり感じなかった*1

印象としては、中国側の資料をかなり信用しているなぁ、ということ。たしかに、『魏書』に「西域伝」がないことの謎解きと、その結果として「倭人伝」の地理的記述には信ぴょう性がないことを証明するところなどはかなり読ませる部分であって感動したのだが、その一方で、推古の非実在性を主張するところで参照している『隋書』については中国側が嘘を書く理由などないとかいって、男王に会ったという記録をあっさり受け入れている。うーん、でも「明史日本伝」とかの記述のデタラメっぷりをみると、嘘を書く理由があろうがなかろうが、中国側の異国人に関する記述ってかなり歪んでるんじゃ…。ちなみに「明史日本伝」のでたらめな記述として、岡田は次の箇所を引用している。

日本にはもと王があって、その臣下では関白というのが一番えらかった。当時、関白だったのは山城守の信長であって、ある日、猟に出たところが木の下に寝ているやつがある。びっくりして飛び起きたところをつかまえて問いただすと、自分は平秀吉といって、薩摩の国の人の下男だという。すばしっこくて口が上手いので、信長に気に入られて馬飼いになり、木下という名をつけてもらった。…信長の参謀の阿奇支というのが落ち度があったので、信長は秀吉に命じて軍隊をひきいて攻めさせた。ところが突然、信長は家来の明智に殺された。秀吉はちょうど阿奇支を攻め滅ぼしたばかりだったが。変事を聞いて武将の行長らとともに、勝った勢いで軍隊をひきいて帰り、明智を滅ぼした。p.33 

「信長の参謀の阿奇支」って誰だYO!

あと、細かいけど気になった点を一つ。天皇号の成立時期に関して、本書は通説通りに天武朝あたりと推測している。でも、以前このブログで紹介した東島・與那覇『日本の起源』は推古朝の時期というのが最近の見解とか言ってるのよね*2中宮寺が所蔵する「天寿国繍帳」という資料に天皇号がでてくるのが根拠とされるのだが、問題はこれが本当に推古時代の資料なのかどうか。岡田はそんなの国史学界では昔から偽物だと言われているだろ、と一蹴している。たしかに、天皇号の成立と「日本」という国号の成立がほぼ同時であればエレガントだとは思うが、本当のところはどうなんだろう。

ところで、個人的には岡田の歴史観というか方法論にもあまり好きになれないところがある。考古学や比較言語学は歴史の代用にはならないとか、発掘された遺物に文字が書いてあってしかもそれが政治と関係なければ歴史の材料にならない、とか。歴史の対象を政治に限定しすぎるがゆえの言語観念論っぽい感じがあって、どうも自分とは趣味が合わない。

*1:たしかに『古事記』序文は胡散臭いなとは思ったけど、でも本文まではどうだろうか。

*2:東大系の研究者は推古朝説をおす傾向にあるらしい…。http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/nike/2007-05-21/s001/s018/pdf/article.pdf

ロビンソン算術

ロビンソン算術Qは以下7つの式(の全称閉包)を公理にもつ。

  • Sx ≠ 0
  • Sx = Sy → x = y
  • x ≠ 0 → ∃y(Sy = x)
  • x+0 = x
  • x+Sy = S(x+y)
  • x・0 = 0
  • x・Sy = (x・y)+x

不等号は次の定義によって導入する。

  • x < y ≡ ∃z(x+Sz = y)

フランセーン『ゲーデルの定理』はよく似ている公理系を提示している*1。これは、上の3番目の公理の代わりに、不等号に関する3つの公理をおく。

  • (x = y v x < y) v y < x
  • ¬(Sx < 0)
  • x < Sy ≡ (x = y v x < y)

こちらの公理系は存在量化子を使わないぶんエレガントに思える*2

しかし、二つの公理系は同値ではなさそうだ。例えば、Qから (x = y v x < y) v y < x を導出できないことを示す反例モデルとして、以下を考えてみた*3。モデルのドメイン自然数に加えて、i, j, k という三つの余分なエレメントからなる。Si = i, Sj = j, Sk = kであり、任意の自然数nについて、n+i = i+n = i, n+j = j+n = j, n+k = k+n = k。そして、i+i = i, j+j = j, k+k = k, i+j = j+i = k, i+k = k+i = j+k = k+j = kとする。このモデルでは i と j の順序関係が決まらないと思う。i ≠ jだし、i+Sz = j となるようなz, j+Sz = i となるようなz は存在しない。間違ってたらごめんなさい。

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*1:Schoenfieldの有名な教科書(p.22)でも同じ公理系が提示されている。

*2:フランセーンが提示している公理系の式はすべてΠ1論理式だが、x ≠ 0 → ∃y(Sy = x) はΠ2論理式である。

*3:戸田山『論理学をつくる』を参考にした。